on the booze!!!

2013年08月

183

1年を2等分。

このブログも1年経ち、勝手な個人的なノルマで183回目。

2日で、1回のどうでもいいつぶやき。

来週に、前の職場の飲み会が、その現地であった新宿の西口であるとのこと。

ついでに、損保でも寄っとくか、という直ぐ忘れる脳のためのメモ。

話しやすかったこは、来ないとの連絡。残念。

183回目、達成。


39と32

職場のセキュリティ外に保険屋のお姉さんが数社、数人居る。

昼休み。

毎日、こんな仕事の仕方ってあるの?

血と汗と涙、みたいな新規開拓があるんじゃないの? いま、まさに地平線。

と、疑問をもつも、外見と容貌でいくらか対応が異なる単純で、ずるい自分。

クーラーもあり、外光も浴びない。

炎天下でけなげに働くお弁当屋さんを想像する。偉くない?

(判官びいき。あなたも義経さん)

で、なぜか、「握力測ります?」とのこと。

先ずは、元気な左手。39。そんなもん?

次、反対。

「こっち、40肩だからな・・・」エキスキューズ。

結果、32。もう。左利きなのね。頑張ろう、神戸。


17週。

なぜか、週単位で考えるのがいちばん楽。

あと、ことしも17週。

予算を立てる。

ただ、本を読む冊数。

17冊。

飽きっぽい自分は、支流も通しているので実際の数値はもっと上。

水増し。


飲み歩きが多かった週のうち、借りているレンタルDVDも見なければいけない。

(くさやとクジラが、もっとも美味であるとの実感報告)

ただ、なにかに追われている。

それでもね。

映画史上、いちばん、きれいじゃないの、というひとがいた。

アナ・ムグラリス

モデルも、らしい。

イメージ 1

つまりは、不公平な世の中。

なおったよ! 不治の病いの 人見知り

結局、誰とでもしゃべる。

もちろん、お弁当屋の可愛い子とも。

お弁当を買いもしないのに、向こうから話しかけられるまでになった。

でも、ここまで。

(遠足前日歓喜マックス説)

イメージ 1

仮に。

わたしのこと、どう思っているんですか?

いつか。

仮に、交際スタート。

ねえ、わたしのこと、好き?

好きかどうかも、分からんような相手は、オレは、知らん。

(水筒遠足途中真空説)

でも、そんな立場になってみたい。

お願ぇ~しやす。

イメージ 2

といいつつ、通勤途中に前を歩いているのは、数回だけ、飲んだことのある女性かも?

でも、名前が思い出せない。

深層心理で、深い仲になることを、とても恐れている。

あれは、3年ほど前?

きれいなのに、なぜか悲観的な女性であった。

まあ、人生、うまく転がってるひとには、ぼくのことなんか見えもしないと思うけど。


イメージ 3

エスパニョール。

イメージ 4

結局、ひとりで、こんな飲み方。

浅草の片隅で、紳士でありすぎる自分。

ニヒルで、ありすぎる自分。

でも、まあ、幸福すぎるこの頃。

何店かは、入店拒否みたいな憂き目にあうけど。

それも、これも。

どないも、こないも。

2/3が終了。

早ようござんす。

写真展を見に行く。

銀座の、それこそ中心。

おじさんも集団になれば、負けじと、おばさんたちよりうるさくなれるもんだな、と思う。

イメージ 1

自分の人生を数年後に、満足するまでに完成させたい。

ひとにとっての到達点ではなく、まったくの自分の基準。

だから、ワールド・レコードと評して、誰かが羨望を加えるわけでもない。

しかし、自分にとっては一大事。

パリに行く前に、こういう写真を見ておけば、もっとましな写真を残せたのにな、と思いながらも、それじゃ真似か、とあきらめる。

誰もぼくの経験を、いまさら奪えない。

イメージ 2

曇り空。

あの若い子、サンデー・モーニング出ないな、と思っていたら、今日。

しっかりしている、若い子もいるんだね。

イメージ 3

楽器屋さんもある。

こういうのを軽やかに吹いたり、弾けたりしたら楽しそうだな、と思う。

アフリカの大地で一日、太鼓なんかを叩いているのも、それも楽しそう。

生まれたところや、育った環境が大きく左右する。

価値観にも。

銀座というステータスへの価値観。

イメージ 4

新橋という価値観。

バイス・サワーを頼むという価値観。

イメージ 5

秋の入り口を、コンビニで知る。

確実なるサッポロ派だけど、これ、やはり、いちばん旨いかも。

で、早めにうとうとして、夜中を漠然とテレビを見て過ごす。

雨の日に何するか、という価値観。

芸人は、やっぱり笑わせるべきで、痩せて、走るということとは一線を置くべきだ、という価値観。

自由という価値観。

化学兵器をばら撒くという自由。でも、世界のこちらでは休日に銀座を歩くという選択もできるのだ。

大人になる途中でジーンズをひとりで買いに行くようになる。
成長の通過儀礼。
親に準備された洋服など、もうご免だ! 独立を勝ち得るぞ!
棚を眺める。
試し履きしたいも、普段、慣れ親しんだ基準であるセンチメートルがインチに変わっている。
対照は、どうなっているのだ。
しかし、基準にも規格にもなじんでいく。
それでも、ジーンズは古びて行き、また新たなものが欲しくて、再度、入店。
自分は、29だと思っていたが、ある日、32インチになっていた。数値である基準を知っていても、戸惑いは拭い切れない。
 
①棚の陳列方法

はじめはロックを聴く。これも、通過儀礼。
こちらには購買意欲があり、その目的地にたどり着くのは、いとも簡単なのだ。
エリック・クラプトンのCDを探したければ、「E」か、もしくは「エ」の棚にいけば要望のものが見つかる。
例えば、「B」には、ビリー・ジョエルがいて、ビートルズも解散してから相当経つのに、一角をきちんと死守している。今後も新譜は発売されないが、歴史の証人として存在しつづける。

ディクショナリー分類方式。

名付けると。
 
②ジャズを聴く。

たまたま、ラジオでジャズを知る。演奏者や曲名かアルバム名をメモする。
店に勇んで突入。
陳列がアルファベットから楽器順に変わっている。あれ? 探せないの。
トランペットがあり、サックスがあって、ピアノ演奏者がいる。大きなところにはドラムもあって、アート・ブレーキーが大口を開けて恍惚となり、豪快にリズムを刻んでいる。
手元のメモのひとの愛用の楽器は何だったかしら。
当然、その分類から、もれるひとも出てくる。グループという形体やリーダーにならない楽器の使い手。ソロを存分に発揮できないひとや、作曲もしないひと。見つける手立ては?
例えば、モダン・ジャズ・カルテットの整理方法は。ベース奏者もいた。怒れるミンガス。JJ・ジョンソンもこの隠れ家にいる。

野球のスイッチ・ヒッターのように、複数の楽器を同等に操れるひともいる。出でよ、ラサーン。
クラリネットは、じゃあ、どこに?

本屋も同じ。

小説があって、参考書がある。歴史小説というものも区分けされている。
 
③ 次にはクラシックを聴く。

ただ、グレン・グールドの演奏が聴きたいだけなのだ。
作曲者の名前で並び替えられている。
彼がバッハを弾いているのか、ハイドンなのかには無頓着。ただ、彼の神秘感すらある個人的な演奏に興味をもっただけなのに。そして、棚のまえで戸惑っている。いったい、どこに、あるのだろう?
弾いていたのは、誰の作曲のものだったのだろう?
 
棚の隣り合わせにいるシューマンとシューベルトは、どれほど似ているか、差があるかも分からない。
途方にくれる。

有名塾講師方式。
(東進ハイスクール方式)

英語ではなく、あの先生を。

 
脱線したが、その前に。
ジャズでソロとして用いられた同じ楽器のなかでも、それぞれ音色や特質が違う。
 
トランペッター。

「A」の、アート・ファーマーと「D」のディジー・ガレスピーの音楽に求めるものや、作り上げたい世界観などもまったく違う。途中の「C」のチェット・ベイカーもDのひとと違う。そもそも、それがジャズという個性満載の音楽なのだろう。クラーク・テリーは似ているのかもしれない。
 
「A」のトランペット

イメージ 1

こころのなかにある懐かしさのような原風景があらわれる「ブルー・ライツ」を楽しむ。

気になったら、Gのアルト・サックスも。
 
「D」のトランペット

イメージ 2


Dの曲名。Dark Eyes
 
オールスター前のホーム・ラン競争みたいな大振りです。みな。


「C」のトランペット

イメージ 3


これ、意外と当たりです。

Tune Upなんか、クールです。

このひとの人生も映画になり、よぼよぼのおじいさんみたいになって、びっくりさせます。

 
「C」のトランペット、再び

イメージ 4


4曲目のリターン・トゥ・スワヒリ

美しいですね。

ジャケットでも2本、写っていますね。

いとこのようなフリューゲル・ホーン。

ある店がある。
 
確実に「居酒屋」として経営。外ののれんも、店の外観の古びた感じもまさに。
 
クラシックな重い引き戸。
 
なかが違う。
 
カウンター越しに若い女性が数名いて、ホッピーさえ割ってくれる。
 
1本のそとで、グラス3杯分の希釈。
 
儲けを、どうにか増したりする工夫というのは、どこかに。
 
男性店員の威勢のよさともまったく違う。たまに会話もしてくれる。
 
この不可思議な空間で、いろいろなことを知る。
 
そのうちのひとりの女性が通っている大学の人類分布。
 
「大学生って、どれぐらい勉強するのかね? まったく想像もつかないよ」机上の学習より、経験のみの信奉者。ゆえに、恥とか焦りが、向上に直接つながるスパイスと判断し、期待している。
 
一度読み 無数に捨てた 文庫本
 
「ぜんぜん、勉強しないですよ。キャハ・ハ・ハ」
 
それでも、中 → 高 → 大 と同系列の学校に行けるそうである。
 
でも、不思議な居酒屋。
 
古びた居酒屋で、世界一孤独な背中の持ち主として、ひとりで飲みたかっただけなのに・・・。
 
しかし、厨房で調理をしているひとは年季が入っていて、どれもおいしい。
 
空いたグラスをすかさずもつのは、それでも、若い子。「おかわり作ります?」
 
どちらを目当てにしてるのか。それは、確実に料理だけど。
 
ほんま。
 
 
 
別の女性から連絡。
 
飲み屋で働くようになったから、来てみれば、とのこと。
 
「あそこの2階だから」
 
入店。
 
がっつり、「スナック」という形態。
 
ママらしきひとがいて、日本語が堪能なフィリピン人がいて、その女性。
 
自分が日本語以外の言語を大人になるまで操って、急に名詞でも動詞でも形容詞でもない、てにをは、なんてものに混乱させられることを考えると、ぞっとする。
 
枠組み好き。
 
座っていると、焼酎を割ってくれる。
 
女性の飲み物分はこちらが払う仕組みみたい。
 
おビールを、おグラスに。
 
カラオケもある。
 
昭和に取り残されたような唄を聴く。
 
うただひかるの母が死んだ日に。
 
ブラームスやマーラーなどない世界。
 
知り合いの女性が、誰かの歌い切れなかった曲を引き継いで歌う。
 
その歌声が、あまりにも上手かったので、びっくりする。
 
知り合いのことでさえ、何も知らなかったことに気付く。
 
時間の契約によって、我輩、解放。
 
見送られる。
 
どっかで、ラーメンでも食おうと思う。その前に、もう1軒寄っておいても罰は当たらんだろうとも思う。
 
狭い店。
 
奥のトイレに行くのに、全員が立ち上がる。
 
どこの酒場にも固定客って、いるんだな、と当然のことを知る。
 
お医者さんに賄賂的なお金をつかませたことを語っている。
 
そのことを自慢もせずに、あれがヒーローのあるべき姿と言われている。
 
言っているひとの母が、恩恵を受け、助かったと感謝をもらしている。
 
まだまだ、そういう社会なんだなと思う。
 
急に自分が「華僑の世界」にでも、足を踏み込んでしまったように思う。
 
道義の世界なんてものを考える。
 
ベストを尽くしても、1円も手にしないというのを貴く感じる。
 
高校野球への幻想なのか。お食事代。健康費。栄養費。
 
Wikiを見ると、鯉のチームは電車代2,000円授与というケチぶり。やっぱり、ソリアーノも逃げるわな)
 


結局、望んだ結果として酔う。
 
シャワーでも浴びれば、すべては夢だったんだな、といろいろあきらめる。
 
しかし、ネットでCDを注文しちゃっている。
 
「ある日、突然、ふたり黙るの・・・♪」
 
翌朝、注文した確認メールで驚き、ごまかそうと鼻歌をうたう。
 
「ある日、突然、肩が痛むの。これが俗にいう四十肩なの」
 
ごまかそうと替え歌までつくる。
 
目に見えない誰かが梱包し、家まで目に見えないうちに届けてくれる。
 
目の前でお酒を適当な具合に割ってくれる。お話もする。
 
唄も聴く。これも、幻。
 
クレジット・カードは見えないところで代わりに払ってくれる。これは、現実。
 
パニーニも食いたい。それも明日への願望。
 
提供してくれるひとと、店へ出向くこととは、一切、無関係です。
 
この後、スタッフがおいしくいただきました。

このページのトップヘ